日本の投信の数が多いと言うことであるが、それはその時々の売りやすいファンドを売りたがるという販売会社の姿勢に一因があることは当然ではあるが、投資家サイドの投資に対する考え方にも問題があると思う。それは「短期間で上がるものに投資したい」という考え方である。そのこと自体は間違っていない。短期間に上がるものに投資したいのは誰でも同じである。しかし、「短期間に上がるものは」そう簡単にわからないし、理由なく上がるものは、理由なく下がるものである。そして理由が明確なものはもうすでに価格に織り込まれているはずである。つまりこういう投資家は、投資ではなくて、投機しているのである。投機なら外れる確率は2分の1。外れて文句を言う筋合いではない。今のこの業界の問題点は、投資のつもりで投機してしまっているということである。販売会社もそういう投資家の誤解を利用しているから、たとえ悪意がなかったとしてもあとあとトラブルになる。しかし投資である以上、「いつまでも誤解している投資家が悪い」では済まされないのである。(令和5年8月28日)

コンプライアンスに関する助言をしていて、よく言われるのは、コンプライアンスが厳しくて、営業活動が阻害されている、という主張である。ただ。法令を守ることはすべての事業者に課せられているわけで、それによって営業活動が阻害されているというのはおかしな理屈である。おそらくその趣旨としては、はっきりとは法令違反とは言えない行為やどうみても法令違反とは思えない行為に対しても予防的にコンプライアンスがストップをかける行為のことを指すのだろう。これは難しい問題で、法律の専門家でも法律の解釈に意見が異なることはあり得るし、なにが法令違反になるのかを厳密に判断することは難しいかもしれない。ましてや法令違反になるのを防ぐため、となれば、どんな行為も該当することになってしまう。個人的にはそれを判断するのが経営理念なのだと思う。たとえば、顧客本位の経営を行うとしているのであれば、その行為が法令に違反するかどうかに関係なく、顧客のためになっているかどうかで判断すればいいのである。もし、顧客のための行為が法令に違反するような可能性があったとしても、それは法令を改正すべきだという位の気持ちでいいのではないかとも思う。(令和5年7月31日)

親会社は子会社の取締役人事を、違法性が無い限り自由にすることができる。普通の会社間であれば、まあ当然のことと言えば当然で、文句を言う筋合いはない。しかし、子会社が金融機関であればどうであろうか?たとえば子会社が金融商品取引業者であれば、金融庁への登録が必要であり、その際には、登録金融商品取引業務を適正に行うことのできる人員構成が登録要件となっている。ただ、いったん登録してしまえばそこまで厳しくは言われない。だから、たとえ未経験者であっても、親会社の都合で経営者にすることもできる。未経験者だから経営をうまくできないとかは単純には言えないわけで、そこは親会社の「良心」を信じると言うことなのだろう。しかしなんで登録業務なのか、と考えれば、そこには高い公益性の存在があるはずで、親会社の「良心」にもより高度なものが求められるはずである。人間には寿命があるがファンドにはない。ファンドの価値を永遠に保ち続けるために必要なのは、継投をいかに上手にやるか、そしてその方法は、個人の趣味嗜好で決めるのではなく、揺るぎないガバナンスとして確立しておくことが重要だろう。(令和5年6月28日)

​投信会社が銀行や証券会社などに販売を委託せずに、自分たちで販売を行うのを直接販売(直販)といい、日本でも少ないながらも行われている。私の思う直販の最大のメリットは、自分たちの運用哲学や運用手法は自分たちが一番よくわかっているわけで、それなら他者にまかせずともいいと言うことである。さらに言えば、自分たちが手塩に掛けて育てているファンドを変な販売をするわけがないという思いもある。しかしながら、販売というのは意外にコストや手間のかかる業務で、おそらく単純に収益面だけで見れば、販売委託をした方が経営上は有利だと思う。また、一つに会社の中で異なる機能を持つ二つのセクションを包含することの組織上の困難さもある。それでも直販をやる理由はどこにあるのか?それは、顧客に対して言い訳のできない立場に自分を追い込むことができると言うことである。つまり、顧客本位の業務運営を否応なく迫られると言うことである。そういう意味ではマゾヒスティックではあるが、反面うまくいったときの快感もまたたまらないものだと思うのである。(令和5年5月31日)

新NISAはこれまでのNISAを引き継いだ形で作られているが、よく見てみると両者には根本的な違いがあるように思える。それはいままでのNISAは1年ごとの繰り返しであったものが、新NISAではその縛りがなくなって、販売会社を一つにしておけば、トータルで資産管理することができるようになったということだろう。この違いは資産形成のやり方に関する考え方をも変化させるちからを持っているような気がする。つまり投資しながら消費することがより容易になり、従来なら投資に適さないと考えられていた、安全性資金や近い将来に使う必要のある資金でも投資しながら消費することが可能になるのではないかと推測している。そのためにはある程度の低リスク商品が必要になってくるのではあるし、将来的には、債券ファンドなども対象商品に組み入れられるかもしれない。また投資家がつまらない失敗を犯さないように、責任を持って助言する役割の人も必要になるだろう。しかしこうなれば、貯蓄から投資へはあっという間に進むのではないかと期待している。(令和5年4月28日)

長期投資は信じる力が問われる。将来を予測するのは難しい。であるとするなら、相場の変動に影響されずに長期投資し続ける力となるのは、信じる心しかない。その点、インデックスファンドであれば、信じる対象はインデックスであり、わかりやすい。これがアクティブファンドとなると、運用者の能力であり、運用会社の能力になる。特にトラックレコードのないファンドとなると、もはや見えないものを信じる力となる。見えないものをただ信じて長期保有してくださいというのは、非常に難しいお願いである。だから、同種ファンドの運用成績などを参考として表示する例が多いのだが、実際の運用成績とは異なるケースも多いし、そうであればむしろ有害な情報ともなり得る。やはり、運用会社の運用哲学が大事だと思う。この点があまり重要視されてこなかったのは、ファンドを多く作りすぎて、個々のファンドの特長を運用哲学では語れない状況になっているからだ。投信においても運用会社はその運用哲学を丁寧に説明すべきだし、その運用哲学から外れる運用をするようなファンドは作ってはならない。(令和5年3月31日)

毎年この時期になると、アドバイス先の運用会社のファンドの運用報告会に参加している。報告の対象となる期間は直前計算期間の1年となるが、常に長期投資を推奨していながら、一年ごとの運用成績の善し悪しを説明していると不思議な気分にとらわれる。投資家に対する責任の一つとして、運用報告会は非常に重要な行事だと理解しているが、一年ごとのパフォーマンスによって、聞いている投資家の心が動くのも感じ取れる。なので僕が必ず最初に言うことは、運用報告は運用会社がファンドの運用方針を誠実に実行しているかの確認の場であり、そこに変化がないのであれば、短期間のパフォーマンスで投資行動を変える必要はないと言うことである。しかし、話しを聞いている投資家だけでなく、話をしている当人ですら、成績の良かった年とそうでなかった年では、声のトーンも変わりがちであることを認めざるを得ない。僕が参加している運用報告のファンドはすでに15年以上のトラックレコードがあるので、それとの比較で直前期の話ができるが、それまでは心の中にある種の矛盾を感じていたことも思い出す。(令和5年2月28日)

去年一年間のファンドのパフォーマンスを見ると、資源株などのテーマ型や通貨選択型などが成績上位に並ぶ。そのこと自体はよくあることではあるが、こういう短期的な結果は投資家の投資対象の選択にはどうしても影響を与えるし、また販売員のセールストークにも使われやすい。しかし、テーマ型ファンドなどのパフォーマンスは長期的に見れば上下動が激しく、一定しているわけじゃないことも周知の事実である。なぜかと言えば、そういう投資対象の値動きは時々の市況動向に依存しているからである。短期間の投資対象としては、面白いかもしれないが、長期にわたる投資対象としてはふさわしいとは思えない。短期的に上がったものは短期的に下がることが多いからである。今年は多かれ少なかれリセッションが到来することは大方の見方であり、業績などの裏打ちの少ない投資対象には厳しい環境となるかもしれない。長期投資を目指すなら、やはりできるだけ裏打ちがあると信じられるものにすべきであろう。特に今年最後の一年となる(旧)NISAでの投資には注意が必要である。(令和5年1月31日)

NISA制度の大幅な拡充が発表された。詳細はさておき、生涯の投資上限が1800万円とは少し驚いた。少し前まで、老後に2000万円が必要といわれて大騒ぎしていたのに、1800万円まで投資できて、それが投資益非課税なんて、一般投資家には枠が使い切れないくらいである。老後の資産形成制度としては、これにIDECOが加わるわけで、もはや投資は非課税でできると言ってもいいだろう。超金利を続けて、企業業績を向上させ、それによって賃金をあげるというシナリオはなかなか実現しないが、投資収益によって可処分所得を増やし、結果、経済成長が起きるというシナリオは可能性が出てきた。皆さん、自分のためにも、日本経済のためにも、今こそ、投資をすべきである。投資は別に難しいことではない。少しの知識と勇気があればできる。あとはこの環境を金融業者が悪用しないことを祈るばかりである。今度こそ、業者も襟を正して、顧客本位の業務運営を実践して、投資家の安定的な資産形成をサポートしてほしい。(令和4年12月30日)

私たちはずいぶん前から国際分散投資の重要性を説き続けてきた。経済がなかなか成長しない日本に投資するよりは、着実に成長してきた世界経済に投資して、その果実を得ることの方が個人の資産形成には有効だと考えたからである。この考えは今も間違えていないと思うが、このままの日本の現状が今後も続くと考えるとそれでいいのかという思いは拭いきれない。いまは、社会的インフラも上位にあると思うし、お金さえあれば十分に豊かな暮らしを実現できるだろう。しかしそれもいずれは劣化していくし、維持にはそれなりの経済力が必要だ。その上日常買うものもすべて輸入品みたいになったら、そんな国に住み続ける人は減っていくのではないか?人口減少に加えて人口流出まで起きたら、目も当てられない。国全体が過疎化問題に直面することになる。お金がよりよい投資先に流れるのは当然としても、自国がある程度の社会的価値を見いだせる状況にあることは最低限必要なことではないか。そのための対策を打つことは今を生きているものたちの責任である。(令和4年11月30日)

価格変動商品は、安く買って高く売るのが王道ではあるが、実際は多くの投資家が高く買って安く売っている。これは別に日本に限った話しではなく、驚異的な高パフォーマンスを続けていた米国株市場の投資家においても同様の傾向が現れている。「なぜその株や投信を買うのか」という根本の問題よりも、目先の価格変動の方が意志決定を支配しているのである。数ある投資対象の中から選択するには、それなりの理由があるはずである。値段が下がったからというだけでは、買う理由にはならない。その背後に現在の価格が真の価値を反映していないという認識があるはずなのである。それは通常は、経済成長であり業績成長である。それが達成されて初めて、売却する理由があるのであり、単に日々の値動きではそれはわからない。わからぬまま売買をして、もうけられるのは一握りの人たちであり、自分もその仲間になれると思うのは大いなる誤りである。長期か短期かというのは、今は隠れている真の価値が顕在化するのには、それなりの時間がかかるはずということを簡略化して表現しているだけで、厳格な縛りではない。(令和4年10月31日)

プロダクトガバナンス

投信の運用や販売が適切に行われているかの検証の必要性が、最近プロダクトガバナンスという言葉とともに強く謳われている。もともと、自己責任原則の下では、法令違反さえなければ、結果は問われないというスタンスだった。それが顧客本位の業務運営とか、業者の自主的な努力が問われる中で、法令遵守よりもより高いレベルでの行為規範が求められている。そのこと自体は歓迎すべきだと思うが、所詮自助努力では限界もあるし、効果的とは言えないだろう。泥棒に縄を結わせているようなものだからである。やっぱり第3者による検証が必要なのではないか?現状の契約型投信のしくみではその役割を果たせる人はいないし、その費用負担も問われる。個人的なアイデアとしては、決算ごとの監査でそういう検証を付加的に義務づけたらどうだろうか?そもそも、上場企業と同様のファンド監査が必要かどうかは疑問だし(以前は監査法人によるファンド監査はなかったが、粉飾などは聞いたことがない。)、そのファンド監査を簡便化して、浮いた費用の一部を第3者によるプロダクトガバナンスの検証にあてるのがいいのではないか。(令和4年9月27日)

金融教育ってなに?

金融庁が国家戦略として金融教育を推進すると発表されました。漠然といいことだなと思っていたところ、同僚から「金融教育って何を教えるの?」と聞かれて、ハタと考え直しました。確かに何を教えたらいいんだろう?たとえば投資詐欺に遭わないようにすることを教えるのは簡単ですが、そんなことは国家戦略にするほどのことではないでしょう。となれば、やはりお金の増やし方ですか?でもそんなことはこちらが教えてもらいたいくらい難しい話しです。投資なんて、もともと不確定なものだから自己責任原則なるものがあるわけで、不確定なものを不確定だよと教えることにどれほどの意味があるのだろうかと思う。おそらく金融庁的には、長期・積立・国際分散投資を身につけさせようと言うことなんだろうが、これとても世界全体が成長しないような時代が来た場合にも、正しい戦略と言えるかどうかはわからない。鶏と卵の話しではないが、国民が自信を持って投資を行えるためには、日本経済がしっかりと立て直されることの方が優先事項だろうなとは感じざるを得ない。(令和4年8月31日)

比較を容易にするために

最近金融庁は、KPIなどを通じて、あまたある投信の中から顧客が自分のニーズに合った選択をできるように努力をしているように見受けられるが、実際のところ効果が出ているとは言いがたい。たとえば、コストが運用パフォーマンスに与える影響が大きいとしても、高コストのファンドだから成績が悪いとは断言できない。そもそも日本の投信は関係当事者が多くて、そのそれぞれが費用を徴収する。コスト比較だけでも単純比較がしづらいしくみとなっている。しかも、運用には直接関係ない販売会社の取り分が非常に大きい。前にも言ったが、販売会社の費用は別枠とすべきなのである。販売手数料が投信のしくみに付随しているからおかしなことになるし、ファンドごとに異なる販売手数料などと言うことにもつながるのである。販売手数料は何のサービスに対する対価なのか?ファンドごとに異なる手数料はどんな合理的な理由があるのか?をファンドとは分けて明記させることである。特に後者を合理的に説明できる販売会社は実はいないのではないか?そうなれば自然と費用構成もわかりやすくなるし、顧客も比較がしやすくなる。(令和4年7月28日)

制度が定着するには

私ごとで恐縮ですが、去年60歳となって、加入していたiDeCoは積立停止となりました。そして今年から、加入年齢が65歳上限に引き上げられたのですが、そのままボタン一つで再開できるわけではなく、もう一度再加入の手続きが必要で、現状まだその手続きが終了してないので再開できていません。これってなんかすごく無駄なことだと思いませんか?たしかにいったん加入資格を失っている以上、もう一度手続きが必要です、ということなのはわかるが、加入手続き自体非常に面倒で、時間もかかる。すでに一回審査を終わっている人にもう一度同じ手続きをやれと言うのは、面倒くさがりの人にとっては、大きな障害だと思う。iDeCoにかぎらず、NISAにしてもつみたてNISAにしても開始時の手続きはかなりの負担がある。制度の抜本的な見直しをするにあたって、制度のしくみ自体の見直しに重点をおくのはしょうがないと思うが、じつはこうした手続き面にも見直す点が多くあると思うし、制度の定着にはむしろより重要だったりするのではないか。(令和4年6月30日)

長期に付き合えるファンドの条件

長期投資にふさわしいファンドの条件として、運用哲学や投資手法などとは別に考慮すべき点としては、そのファンドの値動きの特徴がある。たとえば、ブル・ベア型ファンドのように相場の調子のいいときは市場平均を(大きく)上回るが、そうでないときはその逆になるようなファンドの場合、その値動き自体に問題はないのだが(ファンドの目的通りの値動きをしている限り、それ自体に文句は言えない)、そのファンドに投資している投資家の投資行動については考える必要がある。こうしたファンドに投資している投資家は必然的に値動きに応じて売買が多くなる(短期投資になりやすい)。そして資金の流出入の多さはファンドのパフォーマンスにいい影響は与えない。ブル・ベア型や一部のテーマ型ファンドが長期で見ると決してパフォーマンス的に良くならないのは、こうした投資家みずからの投資行動による悪影響の面も大きい。長期で保有すればするほど損をすると言うことにもなりかねないのである。積立NISAの対象ファンドの基準に、資金の流入状況についての条件があるのもこうした点を反映している。(令和4年5月31日)

信託報酬の意味

信託報酬は運用管理に関する費用だから、これを一義的に受け取るのは、投信会社と受託会社である。販売会社は投信会社の業務を代行するとして投信会社から信託報酬の一部を受け取っている。類似ファンドによって信託報酬の多寡があるのは、多くの場合この代行手数料の部分の違いではないか。販売手数料が商品内容によって異なるというのは、百歩譲って納得するとしても、代行手数料が異なるというのはどうにも理解できない。投信会社の顧客に対する業務に商品内容の違いによって異なる部分はそんなにないはずだから。代行手数料が高めになっているのは、おそらく、販促費の側面があることは疑いない。それなら、販売手数料を高くすればいいだけである。また直販会社のノーロードファンド(販売手数料無料)の場合、販売にかかる経費はこの信託報酬から捻出されている。これとて、信託報酬を販売手数料込みで設定しているのなら、ノーロードであるといえるのかどうかあやしいとも言える。販売手数料は直接投資家から取るが、信託報酬は払っている認識が薄くなる間接徴収である。このこともこの問題をより複雑にしている。(令和4年3月31日)

変わるものと変わらないもの

「新しい資本主義」なるものの意味はイマイチよくわからないが、従来型の株主利益至上主義の資本主義が変革を余儀なくされていることは疑いがない。SDGs投資やESG投資もそうした流れの中から生まれている。要は社会の課題に応えてこそ、企業の存続に意味があると言うことであり、応えられないような企業は社会から存続が許されなくなると言うことである。当然企業には新たな負担が生じるだろうし、企業から様々なサービスを享受する市民の側もそのコスト負担について認識をしなければならない。日本においては残念ながらまだその認識の共有ができていないのではないだろうか?市民の側がそうした企業を明確に分別して、積極的にその活動を支援していくことが重要なのである。実はESG投資ファンドなどの役割は、その機能を肩代わりすることなのである。そこには短期的な収益の追求ではなく、そうした社会課題に立ち向かっている企業を見つけ出し、その企業活動を受益者とともに応援していくこと、そしてその反射的利益として投資リターンを得ていくことが求められているのではないか。(令和4年2月28日)

自己矛盾

「数ある投信の中から自分に合った投信をプロが選ぶ」というサービスに、投信の販売を手がけている金融機関は矛盾を感じないのだろうか?そもそも自分たちのやっている業務を否定しているとは思わないのだろうか?ファンドラップについては様々な点で違和感を覚える。ここまでして、投信という商品は販売しないといけないのだろうか?ファンドの集約化についてもなかなか進んでいない。もっとほかにやることがあるだろう。安定的な資産形成をするための投資信託であれば、そんなにいろいろな商品を作る必要はないし、そうなれば、顧客も選択に迷わないはずだ。選択肢を広げることがサービスになるのは、自分で選択できる顧客であって、そうでない顧客にとっては邪魔なだけである。そういう状況を自分たちで作ったあげく、選択できない人のためにプロが選択してあげましょうというのは、いくら何でも都合のいい話ではないだろうか?先月の予定分配金のファンドもそうだが、また本筋と違った商品が最近増えてきているような気がする。こんなことで投信が一般に根付くことにつながるとはどうも思えない。(令和4年1月28日)

分配金を売りにするのはやめよう

株式の配当金もそうだが、分配金が出るか出ないかはあくまで運用結果に依存するはずである。それをあらかじめ、保証ではないにしても予想として提示するというのはどういうことだろうか?そこにはなんらかの確実性が必要なはずである。それほど確実でもないのに、そういうしくみを前面に出した商品性というのは、投資運用を目的とした商品と言えるのだろうか?毎期収益が出たから、毎期分配しました(これとても、異なる考え方があるが)で、なんの支障があるのだろうか。もともと分配金の決定は基本的に投信会社の裁量である。収益がでたら分配します、でいいわけで、あらかじめ約束する必要はないのではないか。個人的な意見では、収益がなくても分配できるというルールに問題があると思っていて、ずいぶん前に提言したことがあるが、そのとき歯牙にも掛けられなかったことをよく覚えている。顧客にとって理解しづらいことやメリットにならないことは進んで改善するというのが業界のあり方だと思うが、なかなかそうならないのは歯がゆくてならない。(令和3年12月27日)

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