資産運用立国化に向けて、新規参入を進めようという当局の狙いはよくわかるが、もともと顧客のニーズの存在が前提としてあるはずで、私募投信ならともかく、公募の場合資産運用を広く一般投資家が受け入れる環境が必要だろう。おそらく鶏と卵の議論のように見えるかもしれないが、参入者を増やしても資産運用が一般的にはならないというのは、もう数十年前に答えが出ている気がする。日本においては元本保証に強いニーズがある中、「投資は自己責任で」を前面に出してすそ野を広げようというのはもともと難しいのではないか。むしろ、自己責任原則を排除すべきだろう。何事につけても最初が肝心で、元本保証を望む投資家に一定の安心感を担保として与えることが早道ではないのか?これは邪道ではない。金融庁の言う「安定的な資産形成」という言葉には、損をする前提はないはずで、それが分散・長期・積み立てで得られるというのなら、それを実行した投資家には元本保証を認めるべきだろう。そうなれば、運用会社も適当なファンドの組成や運用を行わなくなるはずだし、まともな運用会社だけが生き残れることになるだろう。(令和7年2月28日)

ファンドを選ぶ基準はいくつもあるだろうが、最終的にはそのファンドが投資家の求めるリターンを上げているかどうかになる。当然個々の投資家にとってみれば、ファンドのパフォーマンスよりも自己のパフォーマンスの方が重要なのは言うまでもないが、それを言い出すときりがない。たとえば10年間のパフォーマンスを比較するとして、最後の1年間に大きなリターンを上げたファンドと安定的に少しずつリターンを積み増したファンドでは、たとえ前者の方が平均リターンで勝っていたとしても、後者のファンドの方が優れていると判断する人の方が多いだろう。ただ、これとても本当に正しい評価といえるかは疑わしい。前者の方が優れているという見方もあると思う。すべては考え方によるし、個々のパフォーマンスは参加している投資家の投資態度によるところも大きい。となれば、ちょっとした成績の違いに目くじらを立てるよりも、自分の投資態度に見合ったファンドを選択するのが正しいのではないか?だとするなら、運用会社もそれぞれのファンドに適している投資家の類型をもっと具体的に示すことが重要なのではないかと思う。(令和7年1月31日)

新NISAの始まりも、IDECOの改正も、それ自体をとってみれば個人の資産形成に有意義なものであることは疑いがない。しかし裏を返すと、自助努力をした人とそうでない人の格差はより広がることになる。こうした優遇措置の拡大は、従来は公的に行われてきた年金などの福祉の削減につながるからである。そうした意味では、自助努力の重要性の周知のみならず、どうしたらいいのかなどについて広く発信する必要がある。認定アドバイザー制度など積極的に推進していくことが必要だろう。しかしながら、詐欺などの犯罪行為だけでなく、こういう流れを利用しようとする連中が必ず出てくるのも残念な実態で、うまい運営が求められる。こういう業務に携わる人たちには利益相反の禁止をはじめとする顧客本位の精神を徹底することである。事業を通じて自己の利益を上げようなどと考える人たちは徹底して排除すべきであり、そういう仕組みを作らないことである。自己の利益にならなくてもこういう事業に社会的意義を感じて協力する人たちも必ず存在するはずだから。(令和6年12月27日)

今年はいわば選挙の年だった。そして結果を見てみれば、のきなみ現政権は敗北、あるいは苦戦を強いられた。民主主義はそういうものだと思っていて、基本的に現政権は不利だ。落ち度は与党にしかつかないし、不満も与党に向きがちだからだ。それにしても、世界的にこれだけ与党が負けるというのもあまり記憶がない。いずれにしても、世界のリーダーがこれだけ変われば、政治も変わるだろうし、それによって市場が全く影響を受けないなんてことはないだろう。必然的に何かは変わる。それが投資家にとって好都合か、不都合かは現段階では予測できない。でも、備えることはできるだろう。こういうときに投資家を不安がらせる言説を唱える人が居るが、そんなことにふり回される必要はない。資本主義がなくなるとか、その可能性は理論的にはゼロではなくても、短期的に見てあり得ないはずだ。そのために人間の叡智はある。でも大きな波は来るかもしれない。そして、それに備えるには、分散しかないだろう。(令和6年11月29日)

投資信託は、その透明性や正確性などのメリットを担保する上で、様々なルールがおかれている。結果として、それらは投信会社の組織や運営を複雑にし、ひいては受益者の負担が増えることにつながる。資産運用立国を目指す立場からすると、現状はやり過ぎのように見えるし、高い参入障壁につながっているようにも見える。この辺の議論は個人としても同意するところは多いが、はたして運用とその他業務をはっきりと分けることは可能なのだろうか?管理する対象は運用業務であり、それを他の第三者が管理できるのだろうか?難しいように思える。責任の所在についてはおいたとしても、おそらく投信会社として投資一任業務のように運用に特化すればいいということにはならないと思う。何らかの管理業務は本体に残ると思うし、中途半端な外部委託はかえってコストの上昇につながる気がする。それよりも、基準価額の二重計算とか、ファンド監査の簡素化とか、やれることから少しずつ管理業務の負荷を減らしていくことだと思う。(平成6年10月31日)

この業界にいると、投資家に説明する人、資料を作る人もその数の多さにうんざりすることがあるのではないか。これらの資料には、同じような内容のものも多い。ある意味無駄とも言えるが、どうしてそうなっているのか?一言で言えば、この業界に対する信頼のなさである。業者は自分には不利なことは伝えず、有利なことのみ伝えている、あるいはその恐れがあると一般に思われているのである。その対応策としての現状で投資家は救われているのだろうか?それらの作成や説明にかかる費用は結局のところ投資家に転嫁され、しかもそれで投資家の理解が進んでいるのならともかく、おそらく逆であろう。こうした状況を打開する方法はただ一つ。業者が投資家からの信頼・信用を回復することである。顧客本位の業務運営の精神はまさにこの発想からだと思うし、年々増えているように感じられる顧客向け資料の数は、その未達成を意味している。もう一度よく考えてみることだ。投資家の幸せがなければ、この業界に生きる人たちも幸せにはなれないことを・・・(令和6年9月30日)

長年、顧客向けセミナーをやっていると、今日はやりたくないな~って思うときがたまにある。8月3日の土曜日がそうだった。前日の金曜日に大幅に下がって、その後の先物の指数とか見ていると、月曜日ももう一段下がることが予想できたから。こんな時は出席している人たちも、関心事は短期的な相場の見通しなので、長期投資の話しなんか聞きたくないだろうなと思うとやる気が失せるのである。一応スピーカーたるもの、自分の話したいことと参加者の聞きたいことがマッチしていてほしいと願うから、それに応じた話しもするのだが、得意なテーマではないとあまり話したくないのである。あのときも結果的に月曜日に下げ幅では過去最大の下げとなった。セミナーでは下がっても売ってはいけないというような話をしているが、内心は穏やかではない。ただ最近の調査では、下落時に慌てて売る投資家の割合は減ってきているようである。それでも、関心事のトップは今後の相場見通しだから、盤石とは言えない。8月2日と3日で世の中何が変わったのかと言えば円高になったくらいで、根本的な社会の変化は何もない。だから売る必要はないのである。価格の動きではなく、買った理由の変化が重要なのである。(令和6年8月29日)

資産形成はやって終わりみたいな印象があるが、実はそうではない。たとえば、2500万円の資産があったとしても、なにもせずに毎月10万円ずつ使えば、20年で使い切ってしまう。いつまで生きるかは神のみぞ知るである以上、将来に向けてある程度の見通しを立てておくことは必要で、その金額を資産形成期間だけで実現するというのは意外に難しいかもしれない。となれば、増やしながら使うという作戦をとることになる。はやく資産形成を済ませて投資なんか考えなくてすむようにしたい人には申し訳ないが、勤労収入がなくなってからの長い人生を想定するとそう考えざるを得ない。そしてこの場合の投資スタンスは長期目線でやるしかない。資産形成を長期投資目線でやってきた人はそのまま続ければいい。長期的に成長が見込める対象に投資することである。それをいくつかに分けて分散しておけば、短期的な値動きに思い悩むことも少ないだろう。そして、取り崩すときは、必要な金額を必要なだけ、利益の出ているところから取り崩すことである。下がっているのを取り崩してはいけない。成長する限り、それはいずれ上がるだろうから。(令和6年7月31日)

今はインデックスファンドの独壇場である。たしかに投資家の側からすると、簡単に理解できるし、投資結果にも受け入れやすいものがある。市場全体の上昇や下落が投資結果になるのだから、納得せざるを得ない。しかし、市場平均に意味がある状況だから、そういうことが言えるわけで、市場平均が投資するに値しない状況であればどうなるのだろうか?バブル崩壊以降、日本株の市場平均は長い間下落基調であった。このようなときに市場平均を買いたかっただろうか?投資を諦めるか、投資するとしたら、市場平均に負けない銘柄を探すことになるだろう。いいかえれば、今のインデックスファンドのブームは、市場平均に意味のある時代だから起きているのである。もしそうだとすれば、長期投資にとって、市場平均は必ずしも頼りになるとは言えないのではないか、と思っているのである。多種多様なというか種類がありすぎて中身がよくわからないアクティブファンドの現状があるにせよ、マゼランファンドのような超図抜けたアクティブファンドが一つでも現れれば、現状は変わるかもしれない。(令和6年6月28日)

投資していて、資産が増えてくるといろいろ考えたくなってくる。特に売り時についてはよく質問を受ける。儲かってるんだったら好きにすればいいとぶっきらぼうに答えたくなるが、そうも行かないので、一応は考えてみるがなかなかに難しい。そもそも明確な目的があって、それを達成しているとかの状況なら売却すればいい。でも多くの人はそんな明確な目標を持ってやってはいないし、ただ下がるのが怖くて聞いてくるだけだ。長期投資において下がる時期があるのは当然のことである、そんなことを恐れてはいけない。でもいずれ使うために投資しているのなら、いざ使う段になって下がっているのは、何としても避けたい。一つの考えとして、少しづつ利食ってリスクを減らすというのは十分にありな発想だと思う。また少しくらい下がってももう大丈夫なくらい資産形成ができているのなら、とことん投資を目一杯続けるのもありだと思う。いずれにしても、下がっているときに売らなくてすむようにすること、売るときには上がっているポートフォリオから売ることが肝心だと思う。(令和6年5月31日)

最近、メタ社のSNS上でのなりすまし詐欺広告をめぐって話題となっているが、私の知人もそうしたニセの投資広告を出されて、その被害にあった人がいる。正直いって個人的には被害者にもかなりの落ち度があると思っているが、その方の話を聞いてるとだまし方の洗練度というかうまさがよくわかって、これだとだまされちゃうのかな・・・と感じたりもした。ただ、一番感じたのはLINEのやりとりとかを見ると、日本語の不自然さであった。とはいえ、こういう詐欺的行為に対抗するには、やはり君子危うきに近寄らずというか、そんなにうまい話は存在しないと確信しておくことしかない。相対的に見て、お金のある人は、お金のない人より、一円の持つ価値は少ない。また、今までなんだかんだうまくいってるからそこまでの蓄積があるのだろうから、自分は大丈夫と思っている節も強いのではないか。その点、筆者はだまされることもないだろうし、そもそもお金のない筆者をだましてもしょうがない。強がりではあるが、持たざる者のメリットといえる。(令和6年4月26日)

選択の自由度が増すと、よりよい結果を求めたくなって、不自由だった時は悩まなかったことで悩むようになる。NISAでも、以前は時限立法だったから、投資をするのなら早く利用しなきゃ損みたいな感じで、いろいろと悩んでいる暇はなかった。しかし、期限が無期限となり、いつ始めてもOKとなったら、今度はいつ始めるのがいいんだろうかと悩むことになる。検討することは悪いことではないが、変わらないものは変わらない。たとえば、安定的な資産形成を目指すなら、基本的な考えは一緒で、「成長する可能性の高いものに時間を掛けて投資する」ことである。でも、新制度では売却すれば非課税枠が復活することになった。こうなると、思考が短期的になって、時間を味方につけることを忘れてしまう。いろいろ試すことは決して悪いことではないと思うが、いろいろ試しているうちに何をやっているのか、何をしたいのかわからなくなってしまうようでは、本末転倒である。(令和6年3月26日)

新NISAの開始に伴い、投資対象の優劣についての議論も活発になっている。投資信託の世界で言えばいわゆる全世界株式ファンドいわゆるオルカンである。このファンドが支持されている最大の理由は、何も考えずに資産運用したいなら市場平均に賭けるのがベストだという考え方である。私自身はこの考えを否定するつもりは全くないし、ある意味では肯定的に捉えている。業界の人間と比較すれば一般投資家には情報格差があるし、それを利用したトラブルも依然として多い。であるとするなら、何も考えずに市場平均に委ねた方が有利だと考えるのは当然だ。ただ、私が不満に感じているのは、平均に勝てないはずはないという、端から見たらおかしいかもしれないが、信念というか期待というか、そういうものがあるのだ。それは社会人になって40年この業界にいる人間としての意地なのかもしれない。今回、なかのアセットマネジメントの設立に参加したのも、セゾン投信で果たせなかった夢にもう一度トライしたいというのが一つの(大きな理由である。「インデックスファンドに普通に勝てるアクティブファンド」を作りたい。(令和6年2月28日)

新NISAについては、その活用について肯定的な意見が多いように見えるが、否定的な意見もある。そもそも、投資の是非にまで議論を戻すのはおかしいわけで、NISAがあるから投資した方がいいとかいうのは、誤解を生みがちだと思う。投資はどんなに工夫しても、損をする可能性はゼロではない以上、どうしても損するのがイヤだと言う人にまで勧めようとは思わない。あくまで、NISAの善し悪しは、投資をしたい人にとってどうなのかということである。その点で言えば、投資収益に非課税というメリットは計り知れないと思う。一方で、NISAは全く自由に無制限に利用できるわけではない。利用にはいくつかの条件がある。ただこれとても、従来のNISAと比較すれば、かなりの自由度が増したと言えるだろう。その上で、その制約条件と非課税というメリットの比較で利用するかどうか決めることになると思うし、たとえば60歳以上には不向きだとかいう批判も、一律に言えることではなく、あくまで個人個人の生き方や考え方によって答えは変わるはずである。急ぐ必要はないし、先入観を持たずに検討してみたらどうだろうか?(令和6年1月29日)

資産運用業が認可制から登録制になって久しいが、参入障壁の高さという観点では、そんなに変わらないように思える。興味のある方は、登録要件を見てもらえればいいが、要件の主眼は運用力の高低ではない。運用会社としての事務能力やガバナンス能力なのである。しかも、企業規模は考慮されない。10人の会社と100人の会社では自ずと「できること」に差があるはずなのに、である。これでは、新規参入したくても簡単にはできない。有能な運用者が一人でも資産運用業の登録ができるようになるためには、これらの業務を外部委託できる環境が必要である。運用者しかいなければ、適正な業務の確保という観点からすれば、この外部委託先をしっかり監督すれば十分に可能ではないかと思える。あとは、どんなに優れた運用商品でもそれを販売してくれる人がいないとしょうがない。そのためには、プラットフォームとしての販売会社の存在と、投資家が商品の善し悪しを見分けることができるための評価会社をセットにすることができれば、今起きている勧誘に伴うトラブルなども解消するのではないか。(令和5年12月26日)

過去において、証券会社にとって投信販売は3度おいしいと言われていた。販売手数料と代行手数料、株式発注による手数料である。いまはさすがに表立って言わないが、実体的にはまだ続いている。一方で、顧客の負担する手数料率に対する関心は高まっている。個人的には費用の高低は直接的な問題では無いと思っている。要はその手数料は何のサービスに対する費用であるかが明確であり(包括的なものではダメ)、その費用に対して顧客が納得できるか、である。手数料問題の根本は、何のために払っているか顧客もわからないし、もらっている業者も説明できないのではないか?ということである。特に代行手数料は、顧客の腹が直接痛むわけではないので監視が緩くなりがちである。投信会社の業務を代行しているというのなら、信託報酬は投信会社と受託会社のみがうけとって、代行手数料は投信会社と別途契約して、投信会社から徴収すべきである。そうすれば、顧客にとっての費用比較は投信会社の費用のみの比較となるし、投信会社と販売会社との関係にも緊張感が産まれるのではないか?(令和5年11月29日)

ファンドラップのキモは投資判断の多くの部分をプロにまかせることができ、投資の初心者でも簡単に資産形成ができるというところである。しかしながら、金融業者と投資家はその関係において必ずしも共同体とは言えない。金融業者が投資家からコストを受け取るという関係はむしろ利益相反関係とも言える。金融業者に「おまかせする」することが、結果として投資家のためにならなかったケースは過去においていくらでもある。適切な投資判断ができない投資家が、「自分にとって最適なおまかせする相手」を正確に選ぶことが簡単なはずもなく、私もどちらが難しいかと問われれば後者と答えるだろう。結局は「自分たちがおまかせされるに足る業者です」という言葉を信じることになるのである。「信じた側が悪い」は一理あるが、それでは世の中は変わらない。信じてもらった側がその信用に足るだけの努力と誠実さで顧客に対峙することである。いま世の中のファンドラップの関係者はどれくらいその覚悟と信念を持ってやっているのだろうか。過ちは繰り返してはならない。(令和5年10月25日)

公募投資信託のメリットとしてそのしくみの透明性や正確性が挙げられる。しかし、そのメリットを担保するために関係当事者も増え、その分コストもかかる。そういうしくみ自体が、競争力を低下させたり、新規参入を困難にしている面があることも否めない。現状のしくみが、何かが起きたときにどうするか?ではなく、何かが起きないようにすることに主眼が置かれている。だから、コンプライアンスなんかも、少しでも何かが起きないようにするために、無駄なコストや業務負荷を掛けているように見えるのである。一方で規制を緩和すると言うことは、何かが起きやすくなることを覚悟でやるわけで、そのために必要なのは、何かが起きたときの処置をあらかじめ決めておくことである。そしてその処置に対する社会的コンセンサスを作り上げていくことなのである。そのプロセスを省いて、特区などのように例外的処置として認めていくのでは、業界の進歩という面において意味がないのではないかと思う。(令和5年9月29日)

日本の投信の数が多いと言うことであるが、それはその時々の売りやすいファンドを売りたがるという販売会社の姿勢に一因があることは当然ではあるが、投資家サイドの投資に対する考え方にも問題があると思う。それは「短期間で上がるものに投資したい」という考え方である。そのこと自体は間違っていない。短期間に上がるものに投資したいのは誰でも同じである。しかし、「短期間に上がるものは」そう簡単にわからないし、理由なく上がるものは、理由なく下がるものである。そして理由が明確なものはもうすでに価格に織り込まれているはずである。つまりこういう投資家は、投資ではなくて、投機しているのである。投機なら外れる確率は2分の1。外れて文句を言う筋合いではない。今のこの業界の問題点は、投資のつもりで投機してしまっているということである。販売会社もそういう投資家の誤解を利用しているから、たとえ悪意がなかったとしてもあとあとトラブルになる。しかし投資である以上、「いつまでも誤解している投資家が悪い」では済まされないのである。(令和5年8月28日)

コンプライアンスに関する助言をしていて、よく言われるのは、コンプライアンスが厳しくて、営業活動が阻害されている、という主張である。ただ。法令を守ることはすべての事業者に課せられているわけで、それによって営業活動が阻害されているというのはおかしな理屈である。おそらくその趣旨としては、はっきりとは法令違反とは言えない行為やどうみても法令違反とは思えない行為に対しても予防的にコンプライアンスがストップをかける行為のことを指すのだろう。これは難しい問題で、法律の専門家でも法律の解釈に意見が異なることはあり得るし、なにが法令違反になるのかを厳密に判断することは難しいかもしれない。ましてや法令違反になるのを防ぐため、となれば、どんな行為も該当することになってしまう。個人的にはそれを判断するのが経営理念なのだと思う。たとえば、顧客本位の経営を行うとしているのであれば、その行為が法令に違反するかどうかに関係なく、顧客のためになっているかどうかで判断すればいいのである。もし、顧客のための行為が法令に違反するような可能性があったとしても、それは法令を改正すべきだという位の気持ちでいいのではないかとも思う。(令和5年7月31日)

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